そうするとやっぱり「うわー、全く書いてないことを読み上げてるわー…」というケースが必ずある。「書いてある通り、そのまんま、ただ読めばいいだけ」なのに、それができない。「どこにも書いてないことを読む」って、ツイッタランドのクソリパーだけじゃなく「小さい頃から」始まってるみたいだよ— 小林幸子(。◕ ∀ ◕。) (@sateco) January 28, 2020
嫌なやり方かもしれないけど、読んでるところを録音してあとで聞かせた方がいいのかも。「ここがちゃんと読めてなかった」「書いてないことを読んでるよ」みたいなことを教えるのって大変だけど、そもそも「書いてあることを書いてある通りに読めない」ようでは、何の科目を勉強しても無駄だと思う— 小林幸子(。◕ ∀ ◕。) (@sateco) January 28, 2020
少しバズっていて言葉が足りなかったなと思ってたところに質問が来たので補足しますが「書いてないことを読み上げる」というのは「書いてある通りに読ま(め)ずに、助詞や接続詞を平気で飛ばし、雰囲気で意味が通じように、自分で無自覚に創作したものを、勝手に挿入して発音する」という感じです。— 小林幸子(。◕ ∀ ◕。) (@sateco) January 28, 2020
あと、言うまでもなく漢字。「この学年で、この漢字が読めない」というのが、音読してもらうと一発で速攻把握できるので、教える側にはとても便利。— 小林幸子(。◕ ∀ ◕。) (@sateco) January 28, 2020
音楽教育を想起しました。雑な人は、小節の最後の休符をすっ飛ばして勝手に演奏しようとします。楽譜をきちんと読んで忠実に演奏することは高度なことです。国語の音読も同じだと思いました。— 石橋司 (@Xve3gY1UiJSYuTk) January 29, 2020
仕事で「読み合わせ」と言う、出来上がったものと原稿を声に出して読んで、間違いがないか確認する作業をするんだけど、書いてないことを読む・書いてることを読まない人がいて、いちいち訂正しなきゃいけないからイライラするんだけど、そう言うことだったのか。— えーす (@Ace__F) January 29, 2020
音読(素読)は小学生を教えてる時に必ず宿題にするようにしてたけど、これは本当にバカにできないタピよ。国語力が壊滅的な子なんかは、授業で「論理的な読み方」とかを教えるよりも、これをコツコツやらせるほうが、ずっと学力が伸びたりします。大人でも、まあやったほうがいい人はいるかもですね。— ニー仏 (@neetbuddhist) January 29, 2020
身体操作指導で行き詰るのは、実は動かし方そのものではありません。相手が「指示された通りに動かずに、必要な動作をすべてスッ飛ばし、雰囲気で無自覚に創作した動きを、勝手に挿入してしまう」からです。指導者が出している指示と、全く違う動きをしてしまうのです。
一連のTweetに書いてある通りなのですが、「書いてある通りに読ま(め)ずに、助詞や接続詞を平気で飛ばし、雰囲気で意味が通じように、自分で無自覚に創作したものを、勝手に挿入して発音する」のです。「書いてある通りに読むほうが難しい人」にとっては「自分で勝手に創作する方が簡単」なのです。
指示通り正しく動くのが難しい人にとっては、自分で勝手に動きを創作する方が簡単なのだと思います。指示通りに動けない人が即興系のダンス(舞踊)をやった場合は、特に悲惨なことになります。即興の動きこそ、圧倒的な国語力を必要とします。書いてある通りに読めない人が、即興で動くのは難しいのです。身体言語を使う方が難易度は高いのですから。
身体操作指導者の多くが、「解説した通りにわかろうとしない人たち」が結果を出すことができないことを、日々実感していると思います。安部塾では、定型の誘導句を繰り返し読むことをおすすめしています。オリジナルを入れず、先人が練りあげてくれた言葉を素読するのが最良の道だと考えています。定型の誘導句を型通りに唱えれるようになったとき、自在に変化する誘導が可能になるはずです。
指導される人は、指導者の言葉に集中して、余計なことを一切せずに、解説の通りに動くことが肝要です。