2018年9月28日金曜日

顔面部・頭部の筋ほぐし~圧倒的な量をこなすことで質があがる~失敗することに金と労力をかける~失敗を乗り越えたモノなら、それはいいモノだ。

昨日の塾生講座のテーマも「筋ほぐし」でした。

20180927 薬院校塾生講座

非常に好評な『顔面部・頭部』をやりました(日田の女王リクエスト)。

塾生のTweetより。

Tweet

テキスト通りに施術すれば、期待以上の成果が得られたりします。

解剖学的に正確な位置に、適正圧で、適正時間、精密に触れることで。


筋・筋膜トリガーポイントセラピーに限りませんが、基本通りに施術する必要があります。

なので、座学をみっちり受けて理解を深めておく必要があります。

座学の不足は、相手の身体を傷つけ、破壊する事故につながります。

ボディワーカーにとって、相手の身体を傷つけるのは致命的な行為です。


相手の話をじっくりと聴くことができないと、座学の内容を正しく理解できません。

自分勝手な解釈をし、テキストとはまったく違った施術をすることになります。

その結果は事故です。

ボディワーカーは自己の知識を深めるとともに、技術の錬磨に集中しなければなりません。


自己宣伝に注力する暇があったら、ボディーワークの能力を向上すべきです。


整体術の世界には、こんな言い伝えがあります。

「きっちり稽古をやっていれば、ちゃんとやっていける」

真面目に毎日コツコツと学び、稽古を重ねていれば実力がつきます。

見る人が見れば、その人の実力は一目でわかります。


その佇まいを一目見ただけで、「この人に触れて欲しい」と思わせるのです。

それこそ、施術を受けたいという人たちが列をなします。


薬院校開校以降、一貫して塾生には「鬼練習をしなさい」と主張しています。

ブレイクスルーは、基本の反復練習によって起こります。

質が高い内容を、圧倒的な量で練習すれば、それまでの壊れた自己の機能を修復できます。

量をこなせば質があがるのは、量質転化の法則として有名です。


文字通り、我武者羅(がむしゃら)にやらないとダメです。

量が質に転化するまでには、かなりの量が必要です。

もし、途中でやめてしまうと、始める以前のレベルより質が下がります(相対的に)。

途中でやめてしまう人は、量質転化の逆法則の罠に堕ちることとなります。


勘違い自己判断で、「自分は理解できた。技術を身につけた」というのは危険です。

質だけを求める人は、こうして間違った自己流に陥ってしまうのです。


気が遠くなるような圧倒的な量をこなしているうちに、ある日、奇跡が起きます。

いきなり一気に質があがるのです。

どんな物事も、ほとんどの人たちは途中でやめてしまいます。

途中でやめなければ、その先にはブルーオーシャンがひろがっています。


量質転化の法則が面白いのは、『量をこなすことで、さらに量をこなせるようになる』という点です。

つまり、『量をこなせる能力≒質をあげる能力』ということです。

処理スピードがあがることで、劇的に質があがるというわけです。

なぜ、処理スピードがあがるかというと、『失敗を繰り返した』からです。


圧倒的な量をこなすということは、圧倒的な失敗数を経験するということです。

何度も何度も間違いを指摘され、全否定されるということです。

来る日も来る日も、間違いの指摘が繰り返されるのです。

そしてある日、あっさりと間違わないでできてしまいます。


それを人は、成功といいます。

しかし、量をこなした人にしてみれば、それは当然の結果でしかありません。

ありとあらゆるパターンの間違いを消去法で消していった結果です。

量をこなさない人は、必要な失敗を経験できないのです。


宇宙兄弟

宇宙兄弟

ドラえもん

途中でやめる人は、ブレイクスルーポイントに届きません。

そして、まわりの質があがっているので、相対的に以前より質が下がります。


圧倒的な量をこなした人と、途中でやめた人の質の違い

弁証法の、

「量的な変化が質的な変化をもたらし、また質的な変化が量的な変化をもたらす」

という量質転化の法則。

量をこなして質をあげ、質をあげることでさらに量をこなせるようになるのです。


そして、いま自分が繰り返していることが、未来の自分の質を決めていきます。


そんなことを、塾生たちが一生懸命に相手の顔をほぐしているのを見ていて思いました。

安部塾は、間違いを指摘されに来る場です。

私は、間違いは間違いとして指摘し、何度も失敗を繰り返させます。

私は、相手がブレイクスルーポイントに達するまで量をこなすのを見守ります。


量をこなしたくない人と縁がないのも、それはそれでいいのだと思います。


昨日につづき、パンドーラーの壷のお話。

パンドラの壷より

壷を開けたとたん、病気、憎しみ、ねたみ、嫉妬...あらゆる悪いものが、黒い霧と一緒に飛び出してきました!恐ろしさから、パンドラは急いで壷のふたを閉めました。

そこにエピメテウスが帰ってきました。
「いったい、どうして泣いているのだ?」と、パンドラに声をかけましたが、パンドラは顔をおおい、ただただ泣いてばかりでいます。

すると、壷の中からやさしい声がします。
「ふたを開けてください。私は〈希望〉です」
エピメテウスは、恐る恐るフタを開けました。

〈希望〉の女神が現れ、空へゆっくりと舞い上がっていきます。
パンドラとエピメテウスは、ほのかに明るい光に包まれました

引用ここまで。


私にはヘルメス的なところがあり、この話が好きだったりします。

解剖学本のタイトルにもなっている『プロメテウス』とのつながりも。

プロメテウス解剖学

人間を愛するプロメテウスの名を冠したこの本は、安部塾の教科書です。


もうおわかりだと思いますが、希望は、プロメテウスが、もしものときのために壷に忍び込ませておいたのものです。
 
プロメテウスのおかげで、私たちはたとえどんなひどい目にあっても、希望を持つことができるのです。

プロメテウス解剖学のタイトルを見る度に、このエピソードを思い出します。

そして、私たちは希望を持つことができるからこそ、圧倒的な量をこなせるのです。