パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか 岡田尊司著 |
パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか 岡田尊司著より
パーソナリティ障害は、大きなエネルギー源ともなれる。創造的な仕事であれ、奉仕的な仕事であれ、自らが抱える傷や歪みゆえに、パーソナリティ障害の人は、ねじりが利いたバネが強い力を発揮するように、ツボにはまれば途方もない力を生むのである。そうした力が活かされるように、現実的な適応力をつけ、あるいは、そうできるように周囲が支えることは、とても大切だと思う。
パーソナリティ自体は、その人の人柄であり、そう簡単には変わらないし、変える必要もない。しかし、パーソナリティ障害は、パーソナリティの度が過ぎて社会に適応して生きていくのを邪魔している部分なので、変える必要があるし、実際、変えることができる。
パーソナリティ障害を克服した人は、とても魅力的なパーソナリティとして円熟する。年々、周囲の評価も高まり、信頼や愛情に恵まれるだろう。それに反して、パーソナリティ障害を引きずったまま年取った人は、周囲から煙たがられ、見せかけだけの関係で結びついた人ばかりに取り囲まれることになる。本当に信頼できる人は離れていき、次第に孤独になっていく。
どんなに世間的に成功しても、パーソナリティ障害が克服されていなければ、その人の人生は空虚である。その人は、生涯かけて、心の根本的な空虚が、成功や金や欲望の満足によっては、満たされないことを証明しただけで終わるだろう。
若い頃は、パーソナリティは、生まれ持ったものや育ってきた環境によって大きく左右される。しかし、ある程度の年齢になれば、自分の弱点を克服しようと努力した人と、問題に向かい合わずに過ごしてきた人との差は歴然となる。
そこそこの年になれば、人は自分のパーソナリティに責任があると思う。その年になれば、親や不遇な環境のせいにばかりはできないのだ。いかに生きてきたかが、その人のパーソナリティには、顔に刻まれた皺のように刻まれている。中年になっても、子供のように自分勝手に振舞い、自分を顧みることもない。情けない大人にならないように、自分のパーソナリティと生き方を描き続けて欲しい。
重いパーソナリティ障害を抱えていた人も、問題や困難にぶち当たりながらも必死に生き抜いてきた人は、三十代半ばくらいから落ち着いてくることが多い。そうすると、とてもいい持ち味を発揮するようになる。
年齢とともに、多くのパーソナリティ障害は改善されていく。性格が丸くなったという言い方があるが、年を重ねることは、極端な偏りを修正してくれ、適応力を高める。ただし、逆の場合もある。若い頃はそうでもなかったのに、年とともに、性格がいやらしく、捻じ曲がってくることもあるし、傲慢になったり、横暴になったり、横暴になったりすることもある。結局、その人の生きてきた人生が、表れるのである。
引用ここまで(283-285P)
人生の前半は、母親次第です。
遺伝子と環境で決まるからです(遺伝子が70~80%)
しかし、後半は、自分次第です。
引用元にあるように、パーソナリティ障害を克服した人は魅力的になるからです。
人生の前半は、全部母親のせい。
人生の後半は、全部自分のせい。
前半が理不尽だった人は、後半にボーナスステージが待っています。
ただし、前半で「中立的修正」に成功した場合に限りますが。
若い頃は、パーソナリティは、生まれ持ったものや育ってきた環境によって大きく左右される。しかし、ある程度の年齢になれば、自分の弱点を克服しようと努力した人と、問題に向かい合わずに過ごしてきた人との差は歴然となる。
大切なことなので、2回引用しました。
そう。自分の弱点・問題に向かい合っていくことが大切なのです。
自分のパーソナリティ障害を直視し、改善していくことに集中するのです。
そうすれば、認知の中立的修正に成功し、信頼と愛に満たされます。
筋肉と関節の状態には、パーソナリティの状態がそのままあらわれています。
魅力的なパーソナリティとして円熟している人の筋肉や関節は機能的です。
性格が丸い人の関節の機能は精密で、その動きの美しさは見惚れるほどです。
一貫して書いていますが、筋肉や関節には感情が記憶されているのです。
今日の塾生講座で、パーソナリティの解説をします。
パーソナリティの理解がない状態で運動をして、効果をあげるのは難しいものです。
明日からの東京集中講座では、手技の解説をします。
手技こそ、パーソナリティがモロに反映しますので、ご参加ください。