2016年2月16日火曜日

錯覚としての痛み・幻覚としての痛み~恐怖や期待などの心理状態が知覚に影響を与える

錯視

錯視(さくし、英: optical illusion)とは、視覚に関する錯覚のことである。俗に「目の錯覚」ともよばれる。生理的錯覚に属するもの、特に幾何学的錯視については多くの種類が知られている。だまし絵とは異なる原理による。

多くの錯視は原因が分かっておらず、仮説が立てられているというものがほとんどである

引用ここまで


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錯視


ときどきいますよね。

『自分が目で見ているものを信じている人』

視えてないし、聴けてないんですよね。

実際のところは。


例えば、ことさらに世の中の批判をする人。

単に、世の中のそういうところを抽出して見ているだけです。

『アンチはファンの一種』というやつです。

そこを見てしまう自分の心のありよう=脳の機能の問題なのです。


しあわせな人は、世の中の矛盾に気がつけません。

ふしあわせなひとは、世の中の素晴らしさに気がつけません。


そういうものです。

人は、自分の見たいように、世の中を視ているのです。


医学的な原因のない痛みもそう。

『錯痛』なんですよ。

錯覚としての痛みです。

脳機能の問題なのです。


本人にとっては、現実に存在する痛み。

実際は、錯覚・幻覚でしかない痛み。


錯覚

錯覚(さっかく、英: illusion)とは、感覚器に異常がないのにもかかわらず、実際とは異なる知覚を得てしまう現象のことである。対象物に対して誤った感覚や認識を得るのが錯覚であり、存在しない対象物を存在すると見なしてしまう幻覚とは区別される。

錯覚はその原因により大きく4つに分けることができる。

・不注意性錯覚

対象物への注意が不十分のために起こる錯覚。見間違い、聞き違い、人違いなど、われわれが日常経験する多くの間違いを含んでいる。

・感動錯覚

暗くて怖い場所を歩いていると、物の影が人影に見えたり、何でもない物音を人の気配に感じることがある。恐怖や期待などの心理状態が知覚に影響を与えるものである。

・パレイドリア

雲の形が顔に見えたり、しみの形が動物や虫に見えたりと、不定形の対象物が違ったものに見える現象に代表される。対象物が雲やしみであることは理解しており、顔や動物ではないという批判力も保っているが、一度そう感じるとなかなかその知覚から逃れられない。熱性疾患の時にも現れやすい。変像とも言う。(例:人面魚、火星の人面岩、トリノの聖骸布など)

・生理的錯覚

数多く知られている幾何学的錯視や、音階が無限に上昇・下降を続けるように聞こえるシェパード・トーンなどのように、対象がある一定の配置や状態にあると起こる錯覚。誰にでもほぼ等しく起こる。

引用ここまで


痛みの原因の多くは『不安』なのだと思います。

生きていることに安心できない。

だから身体の痛みを感じる。

実際に痛んでいるのは心なのだと思います。


健康不安が強い人が、運動で身体を壊すのも同じ理由でしょう。

健康不安を煽られて、なんのエビデンス(証拠)もないことを信じ込んでしまう。

物理的に身体に悪い運動を、「効いてる」と勘違いしてしまう。

身体に良い運動は、「やってる気がしない」ものなのに。


今日の塾生講座は、こんな話もしてみたいと思います。