自分が『正しい』と思い込んでやっている努力。
傍目には『間違った方向に進んでいる』ことがある。
自分に必要なことがわかっていない状態でガムシャラに努力する。
カラダやココロを壊してしまうことになる。
何らかの方法論や誰かに依存してしまっているときは特にそう。
下手すると、調子を崩しているのに調子がいいと錯覚。
認知的不協和(cognitive dissonance)を解消しなくてはならなくなる。
思考様式が行動と合致する方向に徐々に修正されてしまう(自己正当化)。
人間という有機生命体は『自分の選択は正しかった』と思い込みたいもの。
何かに対して熱心になりすぎているときは大体そう。
そんなときの努力の方向性は、たいがいが明後日の方向。
ややこしいことに、うまくいかなければいかないほど熱心になってしまう。
ここで、努力の方向を正しくしてくれるのは『仲間』。
客観的に判断してくれるので、いまの自分に何が必要かビシビシ教えてくれる。
そういった意味で、普段から『脱・めんどくさい人』してないといけない。
めんどくさい人のまわりは『イエスマン』しかいないからね。
誰も言動を修正してくれないという恐怖。
自分に何が必要なのかを明確してくれる存在=仲間は至宝。
あるセンセイが面白いことをおっしゃられてあった。
『相手を最善に生かすことを最優先に考えておけばいいのですよ』
なるほど、そうしようと思えば主体性を失うことはない。
依存した状態では、相手を最善に生かすことなどできはしないものね。
主体性を持って、正しい努力を重ねていきたい。
大切な仲間たちとともに。