あら(人の言動や作品のよくないところ)探しばかりしている人は、不しあわせな人です。
人の脳には、あら探しに成功すると「自分は重要な人間なんだ」と感じてしまうバグがあります。他人のあらを見つけることで、自分が偉くなったような錯覚に陥ってしまうのです。このため、あら探しをしていないと不安になるようになり、あら探しがやめられなくなる依存状態に陥ることになります。
逆に言えば、他人のあら探しをしていないと、自分のことを重要な人間なんだと感じることができないということでもあります。他人サゲ、自分アゲの人は、だいたいそうだと思います。
他人のあら探しをする行為には、致命的な問題があります。あら探しをされた相手からは、当然の結果として嫌われてしまいます。偉そうに他人のあら探しをしてばかりの人のことを、好きになる人は稀有な存在でしょう。
さらに、類友の法則がはたらくため、あら探しばかりしている人のまわりには、あら探しばかりしている人が集まってきます。
そんな状態が「しあわせ」だとは、とても思えません。
昨日も書きましたが、人は、他人の悪口を言ったり書いたりすると、一瞬の快楽と引き換えに、自分の心の奥底が傷つくようにできています。現代的にいうと、脳機能がダメージを受けるということになります。
脳は自他の区別がつかない構造になっているため、他人の悪口を言ったり書いたりすると、もっともダメージを受けるのは自分自身の脳ということになるのです。
少し、まわりを観察してみると、しあわせそうな人は他人のあら探しなんてしていなくて、自分のやりたいことを楽しくやっているのがわかると思います。他人のあら探しをしている人で、しあわせそうな人なんて、ただのひとりもいないと思います。
以前、「あら探しをする人と距離をとると、そのぶんだけしあわせを感じる機会が増えるよ」とお話されていた方がおられましたが、実際、ほんとにその通りだと思います。