2021年6月30日水曜日

「一芸に秀でる者は多芸に通ず」~反復練習を繰り返して疲労困憊し脱力できた先に、自己の真の型が見えてきます。やりぬきましょう。

休むことなく繰り返し繰り返し反復練習し、疲労困憊する。
訪れた脱力の先に、自己の真の型が見えてくる。
「楽に~」というやり方を当てにして振り回されることがない。
甘い言葉に揺るがない自己の型を身につけることが大切。

 「脱力って、どうやったら身につくんですか?」

 そんな質問を受けることがあります。「体にまったく無駄な力が入らないくらい疲労困憊してから動けば、感覚がわかるかもしれませんよ」と答えています。心理的限界と生理的限界の狭間でしか身につかない「真の自己の型」というものがあると考えています。そして、真の自己の型が身につけば、原理が同じ他分野のこともできるようになります。

「一芸に秀でる者は多芸に通ず」

 ひとつの芸道について奥義を究めた者は他の分野にも通じる道理を身につけているということ。どのような芸でも、つきつめていけば単なる技術を超えた普遍的な「道」に到達する。

 脳には汎化作用があるり、脳のひとつの分野を伸ばすことで、他の分野も伸びてくるそうです。ひとつの道を究めることで、ほかの多くのことも身につけることがたやすくなる、おのずと見えてくるようになるということです。

 一芸を極める過程で、共通する原理原則を学べます。経験の比例を通してたくさんのことが見えてきます。成果や結果を急ぐエンドゲイニング=結果志向に偏るあまり、少し取り組んでうまくいかないと、すぐに諦めてしまいがちです。やりぬくことでしか身につかない「型」を身につけることができません。

 簡単に「やってみよう」で始めて、稚拙なレベルで「できた」と勘違いし、すぐに他者の指導をしたがる人を観察してみればわかります。自分の型が確立していないので、何をやっても本人が思うような反響は得られません。ひとつのことを突き詰めていない人が、いろんなことに手を出したとしても、すべて鳴かず飛ばず(ずっと、活躍することもなく、人から忘れられたようになっているさま。)なままです。

 できるようになるまでの道は、どのルートを選んでもそれなりに厳しいものです。真の自分の型は、疲労困憊の果てにしか得られないということを魂に刻み、自己の研磨を繰り返すことが大切です。その意味では、「正確な努力は、決して裏切らない」と考えています。世阿弥の「一芸は万芸に通ず」の言葉の意味は、「ひとつの道を極めていけば、他の道を理解する力がついてくるもの」だとされます。

 肩の力を抜くために、反復練習を繰り返しましょう。

7月の各地の講座で、「体の余計な力を抜く」ということをテーマに解説いたします。

7月の各地の講座で、「体の余計な力を抜く」ということをテーマに解説いたします。

☆下関集中講座

■7月3日(土)

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機能運動学大牟田サークル

■7月4日(日)

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☆東京集中講座

■7月9・10・11日(金・土・日)

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