2014年2月7日金曜日

「物」よりも「楽しい経験」の方が人を幸せにする

「物」よりも「楽しい経験」の方が人を幸せにする理由(米研究)より

一言に「幸せ」と言っても何が人を幸せにさせるのだろう?それは人それぞれであり一概には言えないが、これまでの研究によると、人は、物よりも楽しい経験(思い出)の方により幸せを感じるという。

ずっと欲しかった物を手に入れた時の喜びは計り知れないものがある。予期せぬプレゼントをもらった時もそうだ。だがそれ以上に楽しい経験の方が人を幸せにする。いったいそれはなぜなのか?

何か物を手に入れることでどのくらい長く幸せな気分が続くのか?という調査がかつて行われたことがある。それによると、その効果は6週間から12週間だったそうだ。物を得ることで得られる幸せというのはあまり長続きはしないようだ。

また、今までに行われてきた他の心理学的研究からも、人は、プレゼントをもらったり高価な物を買ったりするより、友だちと旅行に行ったり、恋人とデートをしたりなどの経験をしたほうが幸せであると感じるという結果がでている。

米サンフランシスコ州立大学のライアン・ハウエル氏はさらにこのことについてさらに詳しく調べた。

154人の大学生にアンケートをとり、過去三か月以内にあった楽しい経験や買ってよかったものなどを書いてもらい、その満足度を調べた。

その結果、経験について回答した学生は、買った物について書いた学生よりも高い満足を示す傾向にあった。さらに、経験について書いた者は、買った物についても高い満足を示したという。つまり、楽しい経験をした学生は全体として幸せな傾向にあったということだ。

ではなぜ楽しい経験は物よりも幸せと感じるのだろう?

”経験の共有”と”思い出補正”が関係している。」ハウエル氏はそう推測する。

幸せと感じる経験のほとんどが、友人や家族、恋人と思い出を共有しているという。共有体験は人と人との仲を深めてくれるものであり、その親しいやり取りのおかげで幸せだと感じているのかもしれない。新車や洋服を買ったと自慢したところで友情が深まることはおそらくないだろう。

また、記憶というのは曖昧なものだ。幼い頃の楽しかったクリスマスも、もしかしたら記憶そのままの最高のクリスマスじゃなかったかもしれない。思い出補正により、そのおかげで幸せだと感じている可能性もある。

実際に2009年に出た別の論文では、この考えを支持する結果が得られた。経験にプラスの思い出補正がかかるとより幸福になるという話だ。ただ経験にはマイナスの思い出補正もあるので、全て補正のおかげだとは言いにくいのだが。

逆に物はというと、飽きというものがある。買った直後は新鮮な気持ちだが、目新しさはそのうちなくなってきてしまうはずだ。経験のほうはそうそう簡単に消えはしないだろう。すごく楽しかった思い出も、すごくつらかった思い出も、なかなか記憶から消えてはくれないものだ

via:howstuffworks・原文翻訳:such

引用ココマデ







山鹿灯籠浪漫・百華百彩公式サイトより

山鹿灯篭浪漫・百華百彩2014 チラシ 裏


振り返ってみて思うのだけれど、想い出って大切。

『心の支え』になるから。

うまくいかなくて凹んでしまいそうなとき・・・・・・

みんなと過ごした時間が、折れそうな心を支えてくれる。


良い思い出ってなんだろう?

実は、辛(つら)い経験だったりする。

タイヘンだったり、悲しかったり、苦しかったり・・・・・・

そんな辛い経験こそが、良い想い出となる。


辛い経験を通して、何が大切なのかを知ることができる。

仲間とともに、自己成長していける。

そのときは、『悲しい、苦しい、辛い』って感じるんだけれどね。、

時間が経つと、良い想い出になっていく。


思い出すのは、誰かとの辛かった時間とかばっかりとかね。

それはそれで、振り返ってみると、良い想い出になっていたりする。


人間って、めんどくさい生き物なのかもしれない。


誰かと共有した経験。

その経験を共有した相手が、『楽しかった』と思ってくれること。

その経験を共有した相手が、一緒だったことを憶えてくれていること。

それが大切。


そう。

ひとりよがりでは、想い出はつくれない。

なにもかもうまくいかなくなって、孤独になってしまう。

一緒に経験を共有してくれる誰かがいないとダメなのだ。

辛い経験を、楽しく共有できるというシアワセ。


さきほどの動画を観て思う。

その裏で、どれほどの辛い経験をした人たちがいたのだろうかと。


会議の様子が動画で残されていた。



タイヘンだったのが、動画を通して伝わってくる。

たくさんの人たちの熱い想いが、当日の美しさとなって輝いている。

でも多分、ホンキで取り組んだ人たちの心には『良い想い出』が残っているはず。

ひとりよがりでは何ごとも成し遂げれないけれど、みんなとならばきっとできる。


そんなことを考えていたら、この曲を思い出した。



一人じゃ非力でも

一緒なら空を飛べる

一緒なら月に行ける

さぁ行こうぜ 底辺から空へ

たとえ一人になったとしても

俺らはちゃんと覚えてる

お前らと一緒に作った

この曲を

(T-T) ウルウル


作者が込めた真のメッセージとは? 名作絵本『スイミー』の真相より

『スイミー』の中で、最も多くのページを割かれているのは、スイミーがたった独りで海の中をさまよい、自分とは違う種の生き物たちに出会い、発見をするくだりです。

その体験の後、スイミーは魚の仲間たちと出会い、彼らを率先して大きなマグロを追い払うのですが、実はこの物語、スイミーの自己発見と自己実現、という深いテーマがあるのです。

レオニの芸術家としての生き方、それはスイミーが仲間を先導するときの言葉、

「ぼくが、目に なろう」

に集約されています。レオニは、人にはそれぞれの個性と役割があるということ、そして、芸術家として他の者が見えないものを見ることのできる人間がいるということを伝えたかったのです。

お子さんとこの『スイミー』を読むとき、お子さんの得るものが「みんなで力を合わせよう」というメッセージでもまったく構わないと思います。一方で、実はこういった深い生き方の哲学も込められているということを、大人の私たちが味わうのもいいかもしれません。

引用ココマデ


人にはそれぞれの個性と役割がある。

だからこそ、みんなで力を合わせると、すごいことができる。

でもほんとは、すごいことをすることが目的ではない。

一緒に想い出をつくっていくことが目的でいいのだと思う。


みんなが自己発見と自己実現をしていけるということ。

それが僕がこれからやっていきたいこと。