小宇宙
宇宙全体の一部でありながら全体と類似したもの。人間、芸術作品などをそう捉えるときがある。哲学用語。これに対して宇宙全体のことを大宇宙という。
自然(外界)=大宇宙(マクロコスモス)
肉体(内界)=小宇宙(ミクロコスモス)
内臓=小小宇宙・・・
東洋医学の考え方。
ヨガでは『梵我一如』
梵我一如(ぼんがいちにょ)とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。不二一元論ともいう。
梵とは神ではなく、あらゆるところに始めから存在する生命の源と考えられている。また人間が梵を吸収することにより生命力が増すという思想もある。
仏教では、梵(ブラフマン)が人格をともなって梵天として登場するが、本来のインド思想にあっては、自然そのもの、あるいは遍在する原理、または真理を指していた。一方、我(アートマン)とは、身体の中にあって、他人と区別しうる不変の実体(魂のようなもの)として考えられ、「真我」と漢訳される。
ヴェーダにおける究極の解脱とは、この個人の実体としての我が、宇宙に遍在する梵と同一であることを悟ることによって、自由になり、あらゆる苦しみから逃れることができるとする。
力学的に正しく動いている肉体が、なぜ美しいのか?
それは多分、宇宙の原理を肉体の動きで表現しているから。
奇抜さや身体能力に依存する動きは美しくない。
力学的な正しさを直観で表現する動きは美しい。
『奇抜さで人目を集めようとしない』
それはとても大切なこと。
自信がないときほど、奇抜さに走りやすい。
自信に満ちた人の動きは透明(エゴで曇っていない)。
特に何もしなくても、そこに宇宙が表現されていると目を奪われる。
心を奪われて見とれてしまう。
それはとても自然なこと。
そしてシアワセなこと。
わざわざ表現者になる必要はない。
日頃の行住坐臥すべてが表現なのだから。
特別な場所で肉体の動きを披露する場面があったとしても、いつも通り。
日々の生活そのものが滲み出てしまうから、誤魔化しようがない。
ちゃんと動けていれば、『見せて欲しい』って要望が寄せられるはず。
自ら見せつける必要なんて微塵もない。
肉体の動き見たさに人が集まる。
そこに宇宙が透けて見えるから。
透明な動き。
それは、動きを見せることで生きていく者が目指す到達点。
だから、最初から透明な動きを目指せばいい。
そうすれば、迷うことなく道を歩いていける。
安部塾の基本は『力学的に正しい動きは美学的に美しい』。
基本を忘れることなく、修練を重ねたいと思う。