2016年12月3日土曜日

人は、本気でアウトプットすれば成長できる。

澄田さんと、1月7日のUZUハウスの龍舞の件で、メッセージで打ち合わせをした。

舞の打ち合わせ

あらためて読んでみると、なんだろうこの信頼関係www。



僕は、口ばかり出して責任をとらないディレクターが大嫌いだ。

「責任は僕がとるから、好きにやっていいよ」

そんなディレクターが大好きだ。

なので、リアルにそれをやっている。


観る者の心を揺さぶり、感動させる舞は、他人のせいにするような姿勢からは生まれない。

すべてを自分で引き受けて、すべてを放出する覚悟を決める姿勢から生まれる。


人は、本気でアウトプットすれば成長できるのだ。


オトタチバナヒメの入水ですね。

オトタチバナヒメ

 さらに相模においでになって、上総に渡ろうとされた。海を望まれて大言壮語して「こんな小さい海、飛び上ってでも渡ることができよう」と言われた。ところが海の中ほどまで来たとき、突然暴風が起こって御船は漂流して渡ることができなかった。

 そのとき皇子につき従っておられた妾があり名は弟橘媛という。穂積氏の忍山宿禰の女である。皇子に申されるのに、「いま風が起こり波が荒れて御船は沈みそうです。これはきっと海神のしわざです。賎しい私めが皇子の身代りに海に入りましょう」と。そして、言い終るとすぐ波を押しわけ海におはいりになった。

 暴風はすぐに止んだ。船は無事岸につけられた。時の人は、その海を名づけて、馳水といった。こうして、日本武尊は上総より転じて陸奥国に入られた。そのとき大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦を廻り玉浦を横切って蝦夷の支配地に入られた。

 そこより入り幸でまして、走水海を渡りたまひし時、その渡の神浪を興し、船を廻らして得進み渡りたまはざりき。こにその后、名は弟橘比売命白したまひしく、「妾御子に易りて海の中に入らむ。御子は遣はさえし政遂げて復奏したまふべし」とまをしたまひて、海に入りたまはむとする時に、菅疊八重・皮疊八重・絹疊八重を波の上に敷きて、その上に下りましき。是に其の暴自ら伏ぎて、御船得進みき。ここに其の后歌曰ひまひしく、

 さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも

意味→「相武の野に燃え立つ火の中で、わたしの心配をしてくださった貴方」

とうたひたまひき。かれ、七日の後、その后の御櫛海辺に依りき。すなわちその櫛を取りて、御陵を作りて治め置きき。


引用ここまで


調べてみると、「吾妻はや……(ああ、妻よ)」のヤマトタケルノミコトとの絆が固いことがよくわかる。

「これも、あの相模の国の野で燃える火の中で、わたしの名を呼んでくださった愛するあなたのためですから」


この話に込められた意味を読みとれる人はさいわいだと思う。