2016年10月22日土曜日

いじめは、いじめる側の問題か、いじめられる側の問題か?

@harukazechanさんのツイート(https://twitter.com/harukazechan/status/788177559871627265?s=09)をチェック

なんか盛り上がってるので便乗。

小松先生が、以前、DVについてコメントされてあった。

僕的に意訳すると、やる側は物理的加害者で、やられる側は精神的加害者という感じ。

やられる側はパートナーが変わっても、相変わらずやられる。

やる側はパートナーが変わると、やらないことがある。

というデータもあるらしい。

これはそのまま、いじめの問題にも言えるかもしれない。

圧倒的正論で、いじめはいじめる側が悪い。

議論の必要はない。

目的論的にも、いじめる側にいじめたいという目的があるのは明白である。

いじめられる側は悪くない。

悪くないのだが、いじめられたいという目的があることがある。

そして、その目的にまったく気づいていない。

自覚がないのだ。

まったくの第三者的視点で、いじめの現場を観察すると、いじめたい人といじめられたい人が出会っただけなのがわかる。

当たり前のことなのだが、いじめたい人に出会わなければいじめは生まれない。

それと、これはよく言われることだが、いじめる人は、無差別にいじめているわけではない。

ちゃんとターゲットを選別している。

多分、シャドウ的な意味で、いじめる側は、いじめられる側の中に自分の姿を見るのだ。

似た者同士ということ。

これもまた当然のことだが、同じ資質がなければ関係は生まれない。

この意味で、いじめのない社会をつくるより、いじめのメカニズムを理解した聡明な人たちを増やす方がいいと思う。

正論を振りかざすのも、ある種のいじめだから。

脳が慢性的な痛みをつくりだすように、いじめをつくりだしているのも脳の働きなのである。

少し観察してみればわかるが、いじめ問題に縁がない人たちはみな頭がいい。

圧倒的に脳機能が高い。

だとすれば、最善のいじめ問題対策は「脳機能の改善」ということになる。

が、おそらく、いじめられる側の人たちは、脳機能の改善に取り組まない。

いじめられなくなると、いじめる側の人たちを責めることができなくなるから。

糾弾したいという目的があるとしたら、あらゆる手段を講じて、脳機能の改善を阻止するだろう。

調度、疾病利得がある人たちが、あらゆる手段を講じて病気であり続けようとするように。

痛みによって利益を得ている人は、痛みを手放さない。

いじめられることによって利益を得ている人は、いじめられることを手放さない。

圧倒的正論で、いじめる側が悪い。

だからこそ、いじめられることによって、いじめる側を責めることができる。

だから、どこに行っても、同じようにいじめられる。

そういうことなのだと、僕は考えている。

僕の仕事は人気稼業だ。

人間的に魅力がある人は、どこに行っても大切にされ、集客に困ることはない。

そうでない人は、どこに行っても相手にされず、集客に困る。

ちやほやされる者と疎ましがられる者。

たまにはひとりにしてくれよと相手に懇願する者と、相手にしてくれないと相手を責める者。

相手の問題ではない。

自分の問題なのだと思う。

話を戻して、いじめる側が悪いのはわかりきったこと。

大切なことは、では具体的にどうしたらいじめという現象が減らせるかということ。

僕は、いじめられる側が自己肯定感情を高めるしかないと考えている。

いじめる側は、いじめられる側の中に、自分と同じ自己否定感情を見る。

それが、いじめという行為の発火点になる。

だとしたら、圧倒的に自分のことを肯定してしまえばいい。

きっと、滅茶苦茶モテるようになる。

いじめの反対はモテるではない。

無視されることだ。

いじめ目的の無視ではない。

存在にすら気づいてもらえないことだ。

つまり、いじめられる人はモテる人でもある。

自己否定を自己肯定に書き換えればいいのだ。

で、ここまで書いて気がついた。

いじめる人も、いじめられる人も、僕を責めたい人はこの内容を使って責める(笑)。

「アベを許さない‼」

「アベ死ね‼」

僕を責めたいという目的があるから、僕を責める材料を探す。

僕を責めても、いいことなんて何ひとつないのに(笑)。

僕のことが大好きでたまらない人は、書いてある内容の真意がわかる。

そして僕は思う。

「僕のことすら愛せない人間に、いじめを語る資格はない(笑)」

いじめについて語っていいのは、隣人を愛せる人だけだと思う。

だから、

「アベを愛す‼」

っていう人の意見しか、僕は聞きたくない(笑)。

なんか、オチがなくなってしまったので、チラシ裏の落書きということにしておこう。