2016年1月27日水曜日

母親自身がしあわせであること~失敗に対処する方法を考える機会としての失敗体験

母親のしあわせは、子のしあわせ。

子のしあわせは、母親のしあわせ。

本来、そんなものです。

どこかで歯車が狂うと、この当たり前のことが当たり前でなくなります。


母親のしあわせを喜べない子。

このしあわせを喜べない子。


狂った歯車を噛み合わせる方法はあるのでしょうか?

母子の歯車

いくつか、チェックをしてみましよう。

□相手の課題に踏み込まんでしまっている

□相手の成長を信じて見守れない

□褒めてしまっている

□感謝の気持ちを伝えていない

□過去のことを気にする

□未来のことを心配する

□現在のできることに集中できない


ひとつもチェックがつかないのが理想です。


鍵となるのは、『失敗という体験を、どう捉えるか?』です。

失敗経験を重ねるということはどういうことでしょう?

『失敗に対処する方法を考える機会が与えられる』ということです。

『人は、失敗という体験によって成長していく』という感覚を養います。


つまり、『失敗という体験を肯定的に捉えられる感覚があるかどうか?』が基本です。

この感覚がない人は、「成功できないのなら、生きている意味がない』と考えます。

白黒思考なので、いちいち凹みます。

結果として、話が全く前に進みません。


失敗という体験を肯定的に捉えられる感覚がない人は鈍感です。

傷つきやすい脆い心が、感覚を麻痺させているのです。

失敗という体験を肯定的に捉えられる感覚がある人は敏感です。

挫けることのないしなやかな心が、感覚を鋭敏にするのです。


さっきのチェックがはいりまくった母親は、感覚が麻痺しています。

なので、しあわせを感じることができません。

わざわざ、ふしあわせに感じる現象をピックアップしてしまいます。

かといって、それに対処する方法も考えることもなく、生きる意味を見失います。


そんな母親の影響を受けた子は、母親と同じことを始めます。

連鎖はつづく……


しあわせな人がしない習慣のひとつに、他人のせいにしないということがあります。

傍目に見て、自分がうまくいかないのを他の誰かのせいにしている人は、しあわせそうには見えないと思います。

「でも、だって、どうせ、どうして……」

『D』で始まる濁音が並ぶので、しあわせな人たちが遠ざかっていきます。


『D』音が好きな人は、世話好きと不平不満を口にするという特徴があります。

まるで、文句を言うために他人の世話を焼いているように見えます。

課題の分離ができていない人の、典型的な行動パターンです。

相手の成長を信じれないから文句を言うし、相手の課題に踏み込むのです。


当の本人が、いちばん問題を抱えているわけですが。


しあわせな人が、わりとよく口にする言葉。

「よろしくお願いいたします」

「ありがとうございます」

清音で始まるので、しあわせな人たちが近づいてきます。


普段使いしている言葉を聴けば、その後の展開は予想できると思います。


話を戻して、母親の課題は『自らがしあわせに生きること』です。

それができる母親は、子のしあわせを喜べます。

それができない母親は、子のしあわせを喜べません。

話はシンプルです。


子の課題は、母親の悪影響に対応する方法を学ぶこと。

母親のせいだけど、そこにこだわらないこと。

あくまで自分の課題だと捉え、成長の糧とすること。

そのためには時間もコストも惜しまないこと。


母親の問題と向き合うということは、母親の課題と子の課題を分離するということです。

それほど難易度が高いことではありません。

「~しなけらばならない」「~してはならない」という非合理な禁止令を外すこと。

これをやるだけでも、しあわせ度は飛躍的に向上すると思います。