2015年11月22日日曜日

「遠くから同じことを学ぶ人がやってきて仲間ができる。これもまた悦(よろこ)ばしいことです」」 朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや。


長崎孔子廟

論語に、こんな一文があります。

「有朋自遠方来 不亦楽乎(朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや)


安部塾的には、こんな訳になります。

  「遠くから同じことを学ぶ人がやってきて仲間ができる。  これって、悦(よろこ)ばしいことだよね」


 一般的には、こんな解釈みたいです。

 →学びて時に之を習ふ より

  先生はおっしゃった

 「教えられたことを受け入れて

 そのたびごとにそれについて復習して身に付ける。

 なんと喜ばしいことではないか。

 遠くから同門の学友が来る。

 なんと楽しいことではないか。

 人が自分を認めてくれなくても不満を持たない。

 なんと君子らしいことではないか。」

引用ココマデ

こっちもいいですね→論語 学而第一 1

下村湖人(1884~1955)は

「先師がいわれた。

聖賢の道を学び、

あらゆる機会に思索体験をつんで、

それを自分の血肉とする。

なんと生き甲斐のある生活だろう。

こうして道に精進しているうちには、

求道の同志が自分のことを伝えきいて、

はるばると訪ねて来てくれることもあるだろうが、

そうなったら、なんと人生は楽しいことだろう。

だが、むろん、名聞が大事なのではない。

ひたすらに道を求める人なら、

かりに自分の存在が全然社会に認められなくとも、

それは少しも不安の種になることではない。

そして、それほどに心が道そのものに落ちついてこそ、

真に君子の名に値するのではあるまいか」

と訳している(現代訳論語)。

引用ココマデ


身体操作指導者は、この言葉を心にとめておけばやっていけると思います。


すぐ行けるところにある学び場への授業料の500円アップに文句を言う人は朋(学友)はできないでしょう。

遠方よりの交通費+宿泊費用に加え、充分な授業料を支払いたい人は朋だらけになるでしょう。

だからこそ、講師は『聖賢の道』を説かなくてはなりません(『説』は『悦』に通じます)。

安部塾における聖賢の道は、『プロメテウス解剖学』なんか学んじゃうことですけど(笑)。


視覚機能改善訓練講座に向け、これを薬院校・東京校に置かなきゃかなと考え中。

プロメテウス解剖学 頭頸部/神経解剖