2014年11月26日水曜日

対価を支払う楽しさというもの

Gmailのメールボックスが、やばいことに(笑)。



この下にも、ずら~っと購入履歴が。


買い物って、楽しいですよね。

この感覚は多分、僕のレッスンで、嬉しそうに参加費を払ってくれている参加者と同じなはず。

自分が認めた何かに対価を支払うという行為は、自分の価値を認めることと同じ。

なんともいえない満足感があります。


対価を払いたくない人というのは、自分で自分の価値を認めることができない人なのかも。

もっとも、そんな人が買い物依存症になってしまうわけですが。

欲しいわけでもないのに、買い物という行為そのものに心をとらわれてしまいます。

恐ろしきは、自己無価値感です。


自己価値感というのは無条件性のものなので、未熟で能力や容貌が劣っていてもいいのです。

いまのあるがままの自分が受けいれられているという実感そのものなのです。


条件や能力でしか肯定を得られなかった人は、無条件の肯定を知りません。

存在の肯定を得られずに、自己無価値感にとらわれたらどうなるか?

社会的価値や能力を得ることによって認められようとします。

だけど、限定条件つき評価が、『無条件の価値肯定』をもたらしてくれることなんてありえません。


自己価値観がないがゆえの、劣っている姿を見せられないというね。

負けられないので、めんどくさい人になりがちです。


屈折すると、努力や競争をしないという方向にいくこともあります。

自分の無価値さに向かわざるを得なくなる事態を避けることができますから。


自己無価値感から頑張り続けていると、人生は空虚なものになります。

自分自身の人生を生きることができないからです。

自分が本音で望んでいる人生とは真逆の人生。

これは哀しいですよね。


自分の価値を、他者の注目と賞賛によって得ようとするのは、逆方向への努力です。

そもそも、自己価値観があれば、そんなもので自己を支える必要がありません。

他者に価値をゆだねるがゆえに、自己の価値を失い続けているのです。

他人と比べたり、勝ったり、社会的価値を高めたりしても、満たされないのです。


自分なりの楽しさを追求できることが大切です。

自分なりの達成感・満足感・充実感自体に、自己価値観を実感できるからです。

自分の価値は他者の評価や賞賛の中には、存在しません。

すべての答えは自分の中にあるのです。




・・・・・・・なんてことを考えながら、請求額を見てみました。

追加で買った備品の請求額と、駆け込み入塾塾生の入金額が、ぴったり同じでした。

なんという見事なシンクロw

僕の価値に対価を支払ってくれた塾生のお金が、僕が価値を認めたものに使われる。

これは、理想形といってもいい展開ではないでしょうか?

僕を含め、みんなが楽しそうなので、なんだかしあわせです。