2014年1月24日金曜日

自分は自分。他人は他人。

自分と他人を比較して何が生まれる?

劣等感や優越感などの負の感情以外の何も生まれない気がする。


自己評価を高めることに力を注ぐ。

他人の目は気にしない。

自分らしく生きていきたいのなら、そうすればいい。

そうすれば、他人の言動には振り回されることはなくなる。


そもそも、他人が自分をどう評価したとしても、

それを自分が気にしなければ、影響なんてないのだ。


他人の評価なんて、その人が感情でしているもの。

その人の機嫌がよければ、高評価。

その人の機嫌が悪ければ、低評価。

振りまわされる方がどうかしている。


そんな他人の言動をゆるすことができればいいだけ。

いや、いつも御機嫌な人たちと一緒にいればいいだけ。


どんな人にだって、その人なりの生き方がある。

自分の言動が、他人からどう受け止められるをコントロールすることはできない。

愛されようと憎まれようと、別に気にする必要がない。

他人に評価されるために生きるなんて、ゾッとしてしまう。


『僕のことを高く評価しろ!!』

そんな人間は鬱陶しいので、それこそ忌み嫌われる。

高く評価することを強要するなんてどうかしている。

そんなことを考えてしまう自己評価の低さを問題視した方がいい。


高く評価される方法がないわけではない。

いつも御機嫌にしておくこと。

そうすると、同じく御機嫌な人たちとつながっていける。

御機嫌な人は他人を高く評価するので、結果的に高評価となる。


ていうかさ、他人を批判しているうちはダメだと思う。

だって、それは自分に自信がないことの現われだもの。

他人を批判したその刃で、自分自身が傷つくことになる。

他人の目が気になって仕方がないという状況をつくり出す。


僕が大好きな『ゲシュタルトの祈り』。


私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。

私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。

そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。

もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。

出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。


自分自身であるという自由を取り戻すことができる詩。

詠唱してみる価値はあると思う。