2014年1月10日金曜日

他人に、「こうであるべきだ」「こうでないのはおかしい』などと思う心が不幸を生み出している。


「他人支配」をやめると幸せになる



他人を支配したいという欲望を諦めると、シアワセに生きていける。

自分以外の誰かを、思い通りに動かそうとしてはならない。

「こうしなさい。ああしなさい」「これはいけない。あれはいけない」

言葉や行動で、他人をコントロール(支配)すると、瞬時にフシアワセになる。


「こうであるべきだ」「こうでないのはおかしい」

そう、他人に対して思う心が、不幸を生み出している。

自分には自分の、他人には他人の、独自の考え方・価値観がある。

身勝手な自分の思い込みを他人に押し付ければ、破綻するのは自明の理。


欲求と感謝は真逆の関係にあるので、欲求がある限り感謝はできない。

感謝なくして、良好な人間関係は築けない。

支配あるところに、愛はない。

相手を支配することを愛することと勘違いすると泥沼化する。


他人支配を膨張させても、いいことなんてただのひとつもありはしない。

他人支配をしようとすればするほど、自分自身が苦しくなる。


承認欲求についても、知っておいた方がいいと思う。


承認欲求より

人間は他者を認識する能力を身につけ、社会生活を営んでいくうちに、「誰かから認められたい」という感情を抱くようになる場合が多い。

この感情の総称を承認欲求という。

承認欲求は、主に子供や何らかのハンデを抱えている人々などの社会的弱者、劣等感に悩んでいる人間、そして情緒が不安定な精神病患者やパーソナリティ障害を持つ者に強いという傾向がある

その反対に、自閉症などの他者とのコミュニケーションが難しい、あるいは既に承認されたという経験があるので、それ以上の承認を必要としない人間は、それほど強い承認欲求を抱えない

以上の理由から、承認欲求は先天的な欲求ではなくて、対人関係を学習する過程で育まれる後天的な欲求である可能性が高い

承認欲求は承認されたい対象によって、おおむね2つのタイプに大別される。

ひとつは他人から認められたいという欲求であり、もうひとつは自分の存在が理想とする自己像と重なるか、あるいはもっと単純に今の自分に満足しているか、という基準で自分自身を判断することである。

前者を他者承認と呼び、後者を自己承認と呼ぶ。

劣等感の強い人間や、情緒不安定な人間は自己承認が困難だったり、あるいはその反対に過大な自己評価をしがちであることは、よく知られている事実である

また、思い込みが強い人間や被害妄想に囚われている人間の中には、幻想の他者を造り出してしまうために、自分が他者承認の問題であると思っていても、実際には自己承認の問題であるという錯誤がしばしば発生する。

また、承認欲求は、どのように認められたいのかという『認められ方』の違いによっても、おおむね3つのタイプに大別される。

ひとつは上位承認で、自分が他人よりも優位な関係で認められたいという欲求である。

こうした欲求を抱える人間は、極度のナルシストか、あるいは他者に対して強い猜疑心や被害妄想を抱えているケースが多い。

つまり、他人が信用ならないから他人を支配する存在として振る舞いたいか、あるいは自己を過大に評価した帰結として、自分が他人より優れているのは当然であると考えなければ、上位の存在として認められたいとは思わない。

もうひとつは対等承認で、これは読んで字の如く他人と自分の関係が平等であることを望む欲求である。

これは、「人並みに認められたい」と考える劣等感の持ち主にしばしば見られる欲求である。

そして、最後のひとつである下位承認は、自分が他人から蔑まれたい、あるいは吹けば飛ぶような存在だと思って欲しいという欲求で、被虐的な性癖のある人物や、社会的・道義的な責任を背負いたくないと考える人間、そして他人に依存したい、保護されたいと思っている人間が抱きがちである。

引用ココマデ


きちんと承認されるということは、とても大切なことだと思う。